平成22年1月


〈バタビヴィアの千金丹の看板〉
 明治末期から讃岐の千金丹が大いに隆盛を極めた時に、帝国製薬(株)の前身の赤澤壽世堂の千金丹について、海外にも販路を広げたことはNo130号で紹介した。当時オランダ領であったジャワ島の小川洋行と明治40年売買契約を結び、大阪の薬種貿易商を通じ大量の千金丹を毎月発送した。これは同社で保存されている当時の貴重なジャワの街で掲げられていた看板である。“SENKINTAN”と横文字で書かれているのが面白い。下の方のジャヴァの横にバタヴィアとあるのは、今のインドネシアの首都ジャカルタの旧称である。小さいとき、戦前から外国航路の船乗りであった親父がバタヴィアとよく言っていたのが思い出される。
 真ん中に四角く描かれているのが千金丹の入った容器である。同社はその後シンガポール、バンコク、アンナン、中国、インド等東洋各地にこの讃岐名産改良千金丹を輸出した。毒消、気付、頭痛として大いにもてはやされたのであろう。
(増井武彦 記)
千金丹の金属製容器の実物大:(4p×5p)
裏面はインドネシア語である。
使用法が書かれているのであろう。