平成18年4月


 讃岐売薬の全盛であった大正9年屋島製薬株式会社は、赤沢忠太郎、森田惣吉、森茂、千切谷誠次郎、納田朝太の出資でつくられた。行商売薬を製造販売し、30人近くの行商人がいた。屋島製薬株式会社と書かれたこの皮製かばんは、昭和の戦前まで使われていた薬売りのかばんである。車のない時代に薬を売って歩いていた行商人の汗と熱意が、擦り切れたかばんの取手に残されている。
 第二次世界大戦の戦時統制政策である一県一企業の方針によって、香川県下すべての売薬製造業者が香川県製薬株式会社に統合され、屋島製薬株式会社が本社工場となった。戦後統制解除され昭和22年に会社は解散し、南海製薬時代を経て、昭和23年9月現在の微研製薬となった。柳行李は戦後徳島に行商に行っていた社員が、昭和40年頃まで使っていた薬入れで、大きな風呂敷に包んで背負って歩いたということである。

戦前に建てられ、残っていた屋島製薬のこの立派な洋館建ての建物は、惜しくも昭和42年火災で焼失してしまった。